赤いオーバー
狭い玄関を順番に出るために大人が列をつくって待っている。
よくある集合住宅団地の重い鉄の扉を、ギィーガチャンと手でハンドルをギュッと押し込みながら
カチッというまで閉める。玄関を出たところで思いのほか寒い北風に驚いて、
手に持っていた赤いダッフルコートに腕を通していると、「赤いオーバー久しぶりだな。」と、
父がポツリと言った。赤いダッフルコートを着て実家に帰ったこともなかったし、
後にも先にも赤いコートなど買った覚えもない。「そう?」と気のない返事をすると、
「うん、久しぶりだ。」と父がうつむき加減に静かに言った。

多分、最後の会話はそれだったと思う。
前の晩はいつもどおり散々ケンカをして、話すのも嫌だったし顔も見たくもなかったから、
そんな話をされても何かを思い出そうとして、話を膨らまそうとも思わなかった。
お互い謝る気も更々なく、今度帰って来た時には時間が解決しているはずだと思っていた。
その1ヶ月後に訃報を受けるとは、あの時誰が想像しただろうか。
多分、父も1ヶ月後、自分の人生にピリオドが打たれるなどと、思いも寄らなかっただろう。

実家を兄と整理していた時に色々なモノが出てきて、段々記憶を辿るような作業に
楽しみを見出した。亡くなってから過ぎた1ヶ月という時間は心の傷を癒し、
思い出を遡って楽しむ作業に終始できた。父は物書きの習性で、自分の身の回りに
起きたことを事細かにあらゆる物に書きつけていた。
一人でいるのが当たり前の人だったから、何かを書くことがおしゃべりだったのかもしれない。
そういう意味では相当のおしゃべりだな。普通、死人はこんなに話さない。

死ぬ間際に起きた体調の変化、吸ったタバコの数、手紙の下書き、何でも書いてあった。
この体調の悪い最中ゴルフに行くか否か。これがカレンダーの切れ端に書いてあったのを
兄と見つけた時には、お父さんアホだな、と腹を抱えて笑ったのだった。

アルバムのページを懐かしんでめくっていると、確かに赤いオーバーを着た
4,5歳の私が微笑んでいる写真があった。「あぁ、着てた。これ、好きだった。」
いろんなことが突然フラッシュバックして何か泣けてきた。
そんなことあの時思い出して、言ったのか、何だよ。
そのページの黄ばんだセロファンをそっと剥がして、写真を取ろうとしたのだが、
糊が経年してベタベタにくっついて取れない。恐る恐る時間をかけて引き剥がしながら、
綺麗に1枚の写真を取ることに成功する。あといくつかの写真を同じように剥がして
ノートに挟んで持って帰ったのだった。

おととし、ヤフーオークションで競り落としたGLOVERALLの赤いダッフルコートは、
(着用回数10回未満)なんて書いてあったのに、じぇぇえええったい、嘘だろ?
どう見ても7,8年着てるでしょ、くらいの着古した経年感で、今年クリーニングに出したら
かなり生地が薄くなってしまって、スーパーと送り迎えくらいにしか着て行けないよと
いう感じになってしまった。だけど、よく考えたら、スーパーと送り迎えくらいしか
出掛けないんだよなぁと、まだまだ着れそうな気がしてきて、悪くないかもしれない。

北風が強くなって新しいコートが欲しくなって買い物に出掛けた。
欲しいものは高すぎて手が出ない、安いものは貧弱で手に取る気もしない。
ちょうどいいものが見つからない。結局、家族分の新しい靴下と目覚まし時計千円を
買って帰ってきた。今度、東京に行ったらコートを買ってこようと思ったけど、
気の早い服屋ときたら、どうせ真冬にもう春物が並んでいるに違いない。
おしゃれは我慢だと!知るか、そんなこと。来年だ、来年また考えよう。
今度は黒いコートが欲しい。赤いコートは今のがダメになったらまたいつか買おうと思う。
冬になってまた父のことを思い出すために。
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by wazawazapan | 2010-12-29 14:05 | パン屋のたわいもない話


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