お金の使い道
時々"悲しみの発作"に襲われる以外は、いつもどおりに日常に限りなく近くなってきた。
ただ今いち気合が入らない。
とてつもなく簡単なミスをしたり(酵母を入れ忘れたり、厚い天板に素手で突っ込んだりする)
いるようでいない、何か少しボッーとしているらしい。

金土の営業でお客さまと会話をする機会が多かったのだが、
話しているとがんばろうという気力が沸いてきた。
月曜日までその気持ちが持続するとよいのだが、
月曜日になると急に一人になって、気力という気力が全て姿を消し、
仕事が手につかなくなるのが最近のパターン。そして、庭に出る。

パンのことだけど、自分が今焼いているパンというのは、
何度も言うけれど、経過のパンであって、心の底から自信を持って売っているわけではない。
完璧に焼ける時=会心の一撃なんて、時々しかできなくて、買ってくださる方に申し訳ない
気持ちもあり、それでも、自分のパンがやっぱ旨いなあなんていう自負もあり、
ただそれがいつもできるかというとそうでもないのが、悔しくてならない。

毎回100の力を出し切りたいのだけど、そうもうまくいかない。
私のパンを買ってくださる方には謝りたいけど、とても感謝している。

最近、お金の使い方が変わってきた。
自分が汗水垂らして稼いだお金(稼いでもないのだが・・・)を何に使うかと言う話。
お金をモノに換えるというよりも、人にあげたい、好きな人に払いたいという気持ちで使っている。

前に話したべにやだけど、欲しいものがネットや他の店で安く売っていても
それがべにやに売っているのならばべにやで買う。
値段でモノを買うという次元ではまた違った意味があるように思う。
お金に対するモノの価値では決してなく、その全てに感謝する意味でお金を払いたい。
私はモノを買うふりをして、べにやさんにお礼と投資をする気持ちでお金を使う。
どうぞ、私のお金を使ってくださいと思う。

家具や器も同じで、ただデザインがよいということではなく、作った職人やデザイナーの
全てにお金を払う気持ちで買いたいと思う。だからリプロダクトは買わないし、
当時その人が認めた工程で作られるオリジナルを買いたいと思う。
中古を買うときは前に持っていた人の生活など想像しながらというものいいし、
私たちの知らない時代に生きてきたその命に丸ごとお金を払うと気持ちがよい。

おいしいレストランを見つけた。望月のル・さんざ・プリュ。
これから死ぬまで時々行こうと思う。年に数回となるだろうが、長く通いたいと思う。

調味料や食材もそう。きちんと心を込められたものを使うと料理が旨くなる。
真面目と新鮮に勝る旨いものなし。こねくり回す必要はない。
醤油一本に千円払う。私のささやかな感謝が役に立つとよいと思う。

買うという行為に所有目的だけではない何かがあることにやっと気づいた。
お金を回すと何かが生まれる時がある。

YUSHIカフェのYUSHIさんが言ってた言葉に感動した。
望月に一軒しかない本屋さんで全ての本を予約して買うと言っていた。
買い支えるという言葉が身に染みた瞬間だった。尊敬した。

私の店でパンを買ってくださる方の中にも、そういった気持ちで使ってくれているような方が
いる気がしてならない。「お前、がんばれよ、続けろよ」という気持ちが時々伝わってくる。
潰れては困るから買いに来るんだといってくださったお客様がいる。凄く嬉しかった。
通販で注文をしてくれる人がいる、買ってやるからお前がんばれよ、焼けよ。
と、背中を押されているようなそんな気持ちになる。

私は紛れもなくお客様から支えられている。
店を開けるたび、感謝がこみ上げ、その実感が沸いてくる。

心より感謝しております。
いつもありがとうございます。
時々ダメパン買わせてゴメンナサイ。
これからも一生懸命がんばります。
[PR]
by wazawazapan | 2010-04-18 08:38 | パン屋のたわいもない話


<< 角りわ子さんの器 緊急通販vol.2 >>